果てしない青のために

あなたの心に、言の葉を揺らす優しい風が届きますように。

🎍 年末・年始 Special Week 3 🎍 〈詩論〉 📄 新たなる抒情詩をめざして 📄

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新たなる抒情詩をめざして

 

 新しい時代の、新しい抒情詩とは何でしょうか。

 日本では、これまでも、たくさんの優れた抒情詩が書かれ、ひろく読まれ、親しまれてきました。
 ところが、現代詩には、ときとして単なる言語実験に堕しているのではないかと思われるような作品もあり、それを芸術と呼ぶには抵抗があるのです。もちろん、抽象画のように、具体物を描かない手法もあります。けれども、優れた抽象画がいずれもそうであるように、たとえ抽象的な色と線と形とで構成されてはいても、鑑賞者がその作品に心動かされ、感動し、あるいは奇妙な感覚に陥ったり、言い知れぬ喜びや悲しみに酔いしれたりできるような作品こそが、芸術なのでしょう。

 抒情詩とは、主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩です。この「読者に伝える」ということも、詩にとって、実に大切なことではないでしょうか。
 新しい時代には、新しい思想や新しい感情表現が生まれるでしょう。それが、どうすれば読者に伝わるのか。読者に伝わり、詩を媒介として、作者と読者との交流が生まれるところに、詩の醍醐味があるのではないでしょうか。そうではなく、詩が、単なる言語実験のように、作者の独りよがりに終始するのであれば、おそらくは近い将来、詩の読者などいないに等しい状況に陥るかもしれません。

 「わかりやすい」ことと「陳腐である」こととは、まったく異なるものです。陳腐さと、新しい思想や新しい感情表現とは、まったく相容れないものだからです。けれども、ありふれた日常の言葉を否定しているわけではありません。誰もが知っているあまりにもありふれた言葉であっても、ふだんからあたりまえのように使っている言葉であっても、語り口の新鮮さや、言葉と言葉との相互作用から生まれる切れ味の鋭い表現は、そうした日常の言葉に、新たな命を吹き込むことでしょう。それは、とりもなおさず、読者に、その言葉と初めて出会ったようなみずみずしい感動と驚きとを与え、その魂を揺り動かすこともあるでしょう。陳腐な表現は論外ではあるものの、むしろ、ありふれた日常の言葉で書かれた詩の方にこそ、好感を覚えます。
 詩は、言語芸術です。ですから、研ぎ澄まされた言葉、ほかには置き換えることのできないような新しい表現は、欠かせません。そのうえで、いまを生きる自らの内面から生み出された作品を、読者にどう伝え、その心をどう揺り動かすのか。それを追究する先に、新しい時代の、新しい抒情詩が見えてくるような気がするのです。

 いずれにしても、言葉と格闘し、常に読者を想定し、推敲に推敲を重ねなければならないでしょう。それでも、詩の世界から読者を奪わないためにも、新しい時代の、新しい抒情詩をめざして邁進したい、こうした思いを新たにしています。

 

📌📝 ご案内 📝📌

 Facebookに、新抒情派を標榜する詩人のグループを新設しました。グループ名は、『詩誌「詩芸術」』です。もし、このような考え方にご賛同いただけるならば、ぜひ、新しい時代の新しい抒情詩を、ともにめざしてみませんか。多くの方々のご参加をお待ちしております。

⇨ https://www.facebook.com/groups/shigeijutsu/

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